稲生(高知・南国市)の石灰の歴史は、1730年(享保15年)高知市種崎町の呉服商、美濃屋忠左エ門等が享保の倹約令を契機に良質の石灰岩と、下田川の水運を利用して、この地に石灰の製造を始めたことに端を発します。その後、文化年間(1800年代初期)阿波国(徳島県)の徳右衛門が四国霊場巡拝の途中、生き倒れを助けてもらった御恩報じにと窯の築き方、製造方法を伝授したことで量産が可能になり、その後現在に至るまで全国有数の産地として発展してきました。稲生地区ではこの徳右衛門の功績を讃えて記念碑を建立しています。
用途は、建築、土木用でしたが、1810年(文化7年)頃より肥料用に使用され始め、明治に入り、製紙、製糖、その他科学用に、更には産業革命後の化学工業や製鋼用に用途が拡がって、現在に至ります。
現在、工業用石灰は重油を燃料として使い、大量に焼成する方法が主流ですが、井上満吉商店では長年の焼成技術を駆使し、昔ながらの土中窯による塩焼生石灰を手間と時間を掛けて製造しており、生石灰原料を厳選した高純度、最適粒度の消石灰製品を精製しております。
社会の大きな動きに対して石灰がどういう役割を果たせるかを研究し、伝統的な塩焼石灰を継続しながら新しい製品を開発していきたいと考えております。